「うまく人間関係を築けない」と悩むあなたへ
visibility1,511 edit2023.11.29

こんにちは、ココトモメンバーの「さと」です。
私は、心理カウンセラーとして活動していますが、最近よくこのようなご相談をお受けします。
「人との接し方が分からない」
「どうやって友達を作ればいいか分からない」
「自分の気持ちをうまく伝えることができない」
これを読んでくれている方の中にも、そのようなお悩みを抱えている方は多いのではないでしょうか。このコラムでは、私の経験や体験談を交えつつお話ししていきます。
他人から嫌われることを極端に恐れていませんか?
自分を明るく見せようとして精一杯作り笑いをしたり、不自然にはしゃぐ反面、心は冷めていて、人にへつらっている自分に嫌気がさしていませんか?
「人から好かれる人」とはノリがいい人のことでも、口数が多い人のことでもありません。
「人から好かれる人」の条件はただ1つ、「相手を尊重する」ことです。
成果を急いでいませんか?
人付き合いが苦手な人の問題は、たいていは失敗を恐れる「成果主義」にあります。
他人となかなか打ち解けられない人は、付き合いそのものを楽しむのを忘れて、
「自分には友達がいる」「恋人がいる」という結果だけを求めようとします。
「うまく話せただろうか」「相手は楽しんでくれただろうか」と結果ばかりを気にしてしまいます。
相手を認める気持ちもなく、ただ「よく思われたい」という欲求は、押し付けにすぎません。
必死で取り繕ったとしても、相手に伝わってしまいます。
「自分が認められたければ、まず自分から相手を認める」これが人間関係の基本です。
誤解しないでくださいね。
理不尽な扱いを受けたり、いじめや嫌がらせを我慢しろという訳ではありません。
自分を押し殺して我慢すべきというのではありません。
八方美人に、全ての人に良くしろというのではありません。
他人にしっぽを振るということではありません。
「ありのまま」で向き合う
対人関係のストレスは、自分のありのままの感情を抑圧することによって起きます。
楽しんでいないのに、嫌われたくなくて明るくはしゃいでしまうこと。
愛を求めているのに、拒絶されるのが怖くて、わざと拒絶し相手を試すこと。
自己嫌悪とは、自分の心に嘘をつくこと、
また、それを自覚していないことによる歯痒さから生まれます。
「自分のありのままの感情を大切にし、ありのままの自分で人と向き合う」それ以外に、心の拠り所となるものはないのです。
他人からどう思われるか気になって、うまく話せない
誰でも、他人からどう思われているのか気になるものです。
しかし、他人と話をしている時、自分はどう映っているか、不快感を与えていないか、自分の話はつまらなくはないか、などと考えていると何も話せなくなってしまいます。
うまく話せなくなるという人は、「話をすること」と「どう思われているか気にかけること」この2つを同時に行おうとしています。
「どう思われるか」は、「何を話すか」によって得られる結果です。
「何を話すか」あなたに求められているのはそれだけです。
「相手がどう思うか」は相手が決めることでコントロールできるものではありません。
「自分がどう思われるか気になって仕方がない」という人は、「他人から好かれないこともある」という事実を認めなければなりません。
「この人とは反りが合わない」「この人は苦手だ」ということは誰にでもあります。
自分にもそういう気持ちがあると認められれば、逆に他人から苦手意識を持たれることがあっても仕方がないと思えるようになります。
努力の方向を考え直す
他人から嫌われる人の代表格は「自分を押し付ける人」です。
しかし、友情や愛情を押し付ける人は、それを善意だと思い込んでいるので、拒絶されたとき自分の善意を踏み躙られたと思い込んで相手を憎んでしまいます。
そういう経験を繰り返していくうちに、どんどん「どうせ私の事なんか誰も相手にしてくれないんだ」と自信を失い、他人に執着するか、逆に心を閉ざしてしまうかのどちらかに偏ってしまいます。
成果主義の人は、少しでも自分に優しくしてくれる人がいると、その人に執着し、ずっと親しくし続けてくれることを要求し、それが叶わないと、裏切られた!と、今度は徹底して相手を憎むようになります。
自分に優しくしてくれる人が居たら、心からの感謝を表すことはよいのですが、してくれること以上のことを要求したり、常に優しくしてくれることを要求してはいけません。
優しくしてくれた人に感謝もせず、それを当然のように要求することのほうが、よほど相手を裏切る態度なのです。
たとえ他人との関係がうまくいかなくても、互いの違いを認め尊重し合えば、それは失敗ではありません。
現在の過程そのものを楽しまなければ、人と付き合う意味がありません。
「よい結果を得ること」を目指すのではなく、「今、ここを楽しむこと」が重要なのです。
私の体験談
私は幼少期に母親から虐待を受けて育ちました。
虐待を受けた人間は必要以上に他人の顔色を伺うようになります。相手から今日、どう思われるかが、まさに生命線だからです。
虐待という極端な例ではないとしても、いつも他人から嫌われていないかと怯えてばかりの人は、
「親の望む通りにしなければ、自分は見捨てられる」
という不安を植え付けられて育った人が多いです。
そういう育て方をされた人は、自分の意思や欲求は後回しにして、常に他人の気持ちを先読みし、他人の顔色を伺うようになり「他人に気に入ってもらえること」こそが価値基準のすべてとなってしまいます。
他人の心を推し量ることは悪いことではありませんし、他人を傷つけまいとすることは大切です。
しかしそれよりも重要なことは、目の前の相手と向き合い、尊重することです。
人は、喜びや悲しみを共有し、励まし合い、認め合うために人と付き合うものであり、
嫌われないように神経をすり減らすために付き合うのではありません。
機嫌をとることで相手の心をコントロールし「私を認めて欲しい」という欲求を押し付けるのは、結局、自分も相手も大切にしていないのです。
私の場合は、一瞬一瞬がフラッシュバック(トラウマ体験が急激に鮮明に思い出されること)の連続でした。
目があっただけで、相手が何か言おうと口を開くだけで、びくびくと怯えました。
そういう時は「私は今さっき生まれたばかりだ」と言い聞かせることにしました。
出会ったばかりの人とって、私は、たった今生まれたばかりのような存在です。
自分は生まれたばかりの赤子だと思うことで、今日、今、この時、この人、がまっさらな新しいものとして受け止められ、過去をいったん脇におけたのです。
今目の前にいる人を、その人そのものとして扱うこと。
過去ではなく、目の前の人の、ありのままを見ようとすること。
相手のありのままに集中すると、自然に、ありのままの自分の感情と向き合うことになります。
はじめからうまくいったわけではありませんし、今でも苦戦しますが、人付き合いとは、筋トレと似ているものだと思っています。
筋肉がついていない人が、突然マッスルになるのは無理です。
傷ついたり、泣いたり、笑ったり、そういう経験を何度繰り返したかで、「人間関係を構築するスキル」が身につきます。
他人と心を通わせるには、時間をかけることが必要です。どんなに社交的でも、時間をかけずに他人と打ち解け合うことは不可能です。
「理解されるということは、一種の贅沢である」ラルフ・W・エマーソン
他人は自分に何もしてくれなくて当然です。
自分の不安を他人に認められることで埋め合わせようとしても、ざるで水をすくうようなものです。
他人から理解されることは、大いによろこばしいことですが、それは贅沢なことであり当然だと思ってはいけません。そう腹をくくって、自分と向き合う以外に自信を持つ方法はありません。
遠い道のりに思えますが、ゆっくりと時間をかけて、人間関係の楽しさ・素晴らしさをあなたなりに見つけてみてください。
今分からなくても、一歩一歩、ゆっくり、自分のペースで歩んでいきましょう。
その経験こそが、あなたを支える力になると信じています。
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