ことばやきもちはトイレといっしょ。期待は込めずに、ただ出す

ただ出すことに許可や承認なんているか?

こんにちは、なおです。今日はあたたたたたたかい。ちょっとさむい。

今回は、言葉や感情を出すという行為について。わたしは、まぁがんばれば素直な気持ちも時には出せたんだけど、小さい頃から「ガマンしてじっと黙って、時にはウソもついて、人とぶつかることを避けた方が自分が疲れずに済む」という処世術でどうにかやり過ごしてきたために、今でもそのクセは抜けきっていないですね。

それが悪いわけじゃない。んだけど、じゃーそもそもどーして、ただの、単なる、言葉や感情ってものを出したり認めたりするのに、そんなに気が重くなるわけ?喉がつまりそうになってつっかえるわけ?胸やお腹にモヤモヤが渦巻いて苦しくなるわけ?どーしてなん??

っていうことを考えたので、書いていきます。

「他人の気持ちを大切に」を守っていたら……。

わたしがついつい自分の気持ちを圧し殺したり、話が通じなくて悲しくなったり苦しくなったりする時。

そこには「わかってほしい、わかってくれなきゃ傷ついちゃう。わかってくれなきゃ、せっかく勇気振り絞って気持ちを出したことが無意味になっちゃう」っていう重みが、「言葉」とか「感情」っていうただの素材にズッシリと乗っかってるんですね。

じゃどうして重みが乗ったのかというと、それは、小さい頃誰かに「他人の気持ちは大切にしなさい」「言葉は選びなさい」「汚い言葉遣いしちゃダメよ」「思いやりを持ってね」って誰かから(もはや誰やろね)教わったのを、真正面から受け取って、それを守り続けた結果です。

あるいは、他人に何かを言われて傷付いた経験から、「自分は他人を傷付ける人間にはなるまい!!」「他人を思いやれる優しい人間になるんだ!!」「もう二度と自分と、自分みたいな誰かが、傷付くことがないように!!(つまりは誰よりも自分を守りたかったんですね、本当は。)」って教訓を受け取った結果ということもある。その両方が合わさっている場合もある。

でね、その教訓を、まあゆるく心に留める程度ならそうならないかもだけど、100%いつでもそうあろうって自分に(本心では望まぬ)頑張りを強い続けると、

ある日、

「わたしはこんなに人の気持ちを思いやってやってるのに、どーーーーーーーして周りの奴らはわたしの思い通りにならんのじゃ!!どーーーしてわがままで不正はたらいてるヤツがのうのうと生きとるんじゃ!!!誰でも他人に与えねばならんはずのやさしさが、どーーーーしてわたしには返ってこんのじゃ!!!ごらぁ!!もうやだマジメに生きててもムダ!!!どーせわたしはダメなんや!!!」

という怒りが溜まって爆発するハメになるんすよ。全員が全員そうなるとは言わないけど、とりあえずわたしはそうなった、よ(  ̄□ ̄)。

せっかくわたしががまんしたのに。せっかくわたしが勇気振り絞ってていねいに扱ってるものなのに。それをぞんざいに扱う人がいる。ゆるせない。丁寧に扱うことが絶対正しいはずなのに、おかしい!!不公平だ!!って、なるんですよねぇ。

でも人によっては言葉や感情をただの排泄としか感じてない人もいるんで、「なんでそんなにいちいち気を張り巡らせてんの???」「なんであなたも好きなように出さないの???」「なんでいきなりキレんの??普段から出してればいいのに」ポカーン、ってなって、ここに行き違いが生まれることがあるのです。

「大切にする」のここちよいありかたをかんがえた

人に優しく、を素直に受け取って、ひたすらに「そうしないといけない」と思って守り続けてきた。でもね、「しないといけない」わけじゃないんす。「しなくてもいい」んす。自分で選んでいいんす。

そして、感じ方と表現の仕方を、自分の気持ちに沿って選ぶこと。出したくなったら自由に出すこと。その許可を自分が自分に常に与えていること。これが、本当の「自分を大切にする」っていう意味なんだと、わたしは今のところそう思うんです。

となれば、本当の「他人を大切にする」の意味もおのずと見えてくるかと思います。他人の感じ方、表現の仕方に、「あんなんじゃダメだ!」「あれはいけない!正しくない!」とかの勝手な判断をくださないこと(でもたまにうっかり下しちゃうときもある。それはしゃーない。そんな自分を自覚してるだけでも全然違うのだ)。

その上で、「あの人の考え方は自分に心地良いな、もっと近くに行こう」とか、「あの人の考えは合わないから離れよう」とか「考えが合わないけど、大切な人だからとことん話し合いたい、思いきって意見を出してみよう」とか「合わないけどぞんざいに扱うのもめんどーだしテキトーにやりすごしてしまえハハハ~ン」とか、そういう風に他人との距離のいろんな取り方の手段を選ぶこと、他人と自分との境界を大切にするのを自分に許すこと。

そしてときには失敗もするしカンペキにはできない自分をも許すこと。カンペキにできない他人を「まーわたしもカンペキじゃないんでお互いさまっすねハハハ~ン」と許すこと。

じゃないかなーって思います、よ。うん、カンペキにはできないっすよ。そのカンペキじゃなさもかわいげのひとつというか、人間の哀愁のひとつじゃないっすか、な……( と言いつつもちろん失敗したら傷付くし恥ずかしいよ。そんなん当然やが ̄▽ ̄)。

他人も自分も勝手に傷付くし、傷付くことは悪いことじゃないのだ

他人も自分も、完全に頭の中だけで描いた計算通りになることはない(たとえばわたしはなんぼ決意をもってやっても早起きが続かないしジョギングも続かないぞ。でも今日も生きてる)のだから、それならはなから自分の身を削って痛い思いしてまで気を使う必要などナイ、って話です。

どんなに優しい(と自分で思う)言葉をかけようと、勝手に傷つく人もいるしね。ただの日常の嬉しい報告を「ケッ!!自慢かよ!!あてつけんな!!」みたいに受けとる人がいるのと同じです(そしてわたしはしばしば口に出さずそう受け取ってイジけます(  ̄▽ ̄はははは)。

そして「気を使わない」からといって、優しさのすべてが無くなる訳でもないしね。大好きな人には、意識しなくても自然と気持ちのこもった言葉をかけてるでしょ(それがポジな言葉であれネガな言葉であれね)。無理しないでも、自然にとっさに出てくるやさしさ、それだけで充分なんす。

「余計な気を使う」というのは、せっかくおいしくてキレイな澄んだ湧き水がこぽこぽ満ちている泉(←他ならぬあなたのそしてわたしのことですからね)に、「もっと足さなあかんやろ」と思ってわざわざ力業で水道水をぶちこみ溢れさす、結果、なんか味がヘンになる、みたいなことじゃないかなー、って思いました(水道水が劣ると言いたい訳ではにゃいが)。

きびちいことを言います

自分は他人の気持ちをすごくうまく推し量って思いやれてる人間だぞ!!人の痛みがわかる人間やぞ!!どやどや!!優しいやろ!!って思い込みが、すでに傲慢なんだとわたしは思うのですね。

だって、逆の立場で考えてみてください。わたしはいかにも優しいのよ~~なんでも譲るし一歩引いて思いやるから、わたしの思ってることは言わないから、ど~~か楽しく気兼ねなく過ごしてね~~……なんて、ビクついた薄笑いで傍にひっついてくる人間がいたら、どうですか?

「いや!!!お前の思ってることを気軽に言ってよ!!!」「わたしとお前ふたりで過ごしてる時間だろーが!!!なんでお前の存在を消したがるんだよ!!!」「つーか、お前にわたしの気持ちが推し量れるなんて、なんでそんな自信持ってんだよ!!わたしとお前と別の人間でしょが!」

……って、わたしは思うのです。

(苦言を呈してますが、これ書きながら誰より自分に突き刺しています。グサグサ(  ̄▽ ̄)

せいぜい言えるのは、

「君の痛みとか苦悩とかわたしはカンペキに理解することできないし、引き受けたり分かち合ったりするつもりもちっともないし(そういう寄り添い方をしたら私自身が傷付くので)、もしかしたらやさしくないことも言って傷付けてるかもしれない

ただ、自分だったらどうするか、どうしたいか、どうしてほしいのか、って想像して意見を述べることぐらいならできる。何か具体的に手を貸してほしいことがあるなら、言ってくれればそれを手伝うこともする。

でもやさしくされるのは期待すんなー!!!期待通りのやさしさなんてあげられるわけがないからなーー!!!思い描く理想のやさしさがあるのなら、他人から欲しがってないでまずは他ならぬ自分自身にそれを与えてやれこんにゃろーーー!!!」ですかね(長くなった)。

そしてしつこいようですが、書いてあることすべて書きながら誰より私自身に問いかけ、話しかけ、言い聞かせているのです、よ(  ̄▽ ̄)誰か特定の人を意識してるというよりもね。

出すのに抵抗ない人の場合

相手にわかってもらえなくてもかまわず言葉や感情をポンポン出す人は、そもそもわかってもらえることを前提にはまったくしていない。ただ出してるだけ。それがたまに伝わったら楽しいし、伝わらなくても気にしない。そんだけのことなんですね。

「あついー」とか「さむいー」とか「ねむいー」とか「つかれたー」とか言うのも、ただ思ったことを言ってるだけで意味なんてない。だから何か返事を求めてるわけじゃーないし、聞いた側もそれに「なんて返そう」「なにか返さなきゃ」なんていちいち反応する必要はないのです。

中には構われたくてこれ見よがしに口を動かす人もいるけど、そういうのを構わなきゃいけない義務なんてどこにもないから。放置でいいから。そういう人、誰も自分を構ってくれないと分かって飽きたら、勝手に動き出すから。

「困ったさんに構ってあげてるやさしいわたし」「きっとわたしが愛を注げばいつかはこの人も心を開いて素直になるんだわ……その時までわたしが尽くすの……」っていう劇を演出する必要なんてどこにもないから(またわたし自身に突き刺しています(  ̄▽ ̄)。わざわざそんなことして他人の幸せに尽くす暇があったら自分の幸せに尽くす力を注ぐから。ね。

排泄のプロの場合

痔持ちの人が排泄するのには悶絶するほどの痛みや出血を伴ったりするから、トイレから足も遠退きがちになります。そしてそこから楽になるために医者の手を借ります。尻の筋肉が馴れてる人は何も気にしないで排泄するしトイレにも特に考えなしに行くでしょう。

コミュニケーションもそれとおんなじなんですね。

わたしは言葉や感情の排泄、処理がスムーズにできず、滞って、心の中が自分でワケわからないほどごちゃごちゃに詰まって痛くなってきたから、カウンセラーの手を借りた。カウンセラーはコミュニケーションをカンペキに取れる訳じゃないけど、より円滑なコミュニケーションのコツみたいなものをアドバイスして、一緒に考えてくれる。そうしながら、わたしは心の詰まりと今でもじっくり長い目で付き合い続けているのです。最初はスゴい痛くてしんどくてまさに切れるかと思ったけど(どこがだよ)。

いやマジで、言葉や感情はトイレに行って出すのと同じ、ぐらいの軽さに考えて良い、そのぐらい極端な軽さに取るぐらいでむしろバランスがとれてちょうどいいと思う。わたしと同じような、言葉や感情溜め込みがちの気にしい体質の人は。大げさじゃなくて。

「言葉や感情は重く扱わなきゃ、大切にしなきゃいけないんだ!!テキトーに出したりテキトーに扱ったりするなんてダメなんだ!!!」っていう怯えや怒り、強迫観念について。そういう気持ちを持ってることがダメなわけじゃない。持ったままでも別に良い。誰もいっこうにかまわない。

けど、苦しかったら手放しても誰も困らない。よね?重く扱うことをやめても、いきなりゴミみたいに扱わなきゃいけなくなるわけじゃないよね。

わたしは、自分の心の詰まりは気にするし思いを出すための筋肉も気にかけて鍛えるけれど、他人のトイレや尻の事情なんて興味ないし気にかけようとも思わない。そんなこと気にしてる時間は他のもっと楽しいことに充てる。あたりまえ(趣味で楽しく気にしてる人はこの限りではナイが)。

ただ、家族とか恋人とかの近しい人だと、生活圏の近さゆえに、心配と言う名の愛情がそこに関心を持たせる。愛情ゆえに、気持ちの出し方や扱い方にまでつい口を出してしまう。そしてそれが人によっては尾を引いたりもする。それだけのことかもしんないのです。

で、それはそれでいい。けれどすべての人に関心を注ぐ必要はないし、そんなキャパをわざわざ持つ必要も無いでしょう。

肛門科医は仕事だから他人の尻も診るし研究もするけど、仕事が終われば気にする必要はちっともない。カウンセラーも仕事だから他人の言葉や感情に目を向けるし研究もするけど、仕事の外までそれに侵食させて心を病む必要はない。メール相談員もね。プロも自分と他人の境界を分けてるんです、自分を守るために。それと同じっすね。

じゃあ、気軽に痛まず出していくには……

ここまで、「言葉や感情をとても大切なものとして扱うがために、出すのに痛みやつっかえを伴う人」と、「言葉や感情はトイレみたいなもんで出したい時に出したら流してそれだけの人」と、あとついでに「それを診るプロ」のことまで書いてみた。

わかりやすく、あえて極端に分けて並べて書いてあるけれど。でもこれは根本的な性質の問題じゃなく、ただの場数と慣れによるものなんです。言葉や感情を扱い外に出す筋肉のつき方に違いがあるだけ。

だから、今のままで充分ならそのままでいっこうに構わない。そして、自分が望むなら、経験を積めば程度のちがいはあれ誰でもできるようになりますねん!そして、ちがいはあっていいんですねん

たとえば、フードファイターなら1食5kgのご飯を消化できないと自分の技術を嘆いたりするだろうけど、わたしが普通にめし食べる分には別にそんなこと気にしない。わたしは音楽が好きだから、手に取った楽譜の曲が思い通りに弾けないと落ち込むけれど、音楽に興味がない人は別に落ち込まない。

コミュニケーションの領域もそれとおなじ!ただ、興味を持つか持たないか。伸ばしたいと思うか思わないか。なくても死にはしない!あったら楽しいかもしれないしそうじゃないかもしれない!

だからもう私達は、自分のコミュニケーション能力を卑下したり他人をうらやんだりして、縮こまったりカリカリしたりしなくても、いい。ただの個性だしちがいは当たり前だから。ただ、伸ばしたくなったら伸ばせばイイ。それだけのこと。趣味の領域といっしょやねん!!引け目になんか感じる必要はまっっっっったくないんだ!!

あー、今までずっと苦しんできたここが腑に落ちて、言葉にできて、今とてもうれしい!((((* ̄∇ ̄*))))

ここから手ぶらでまた一歩ずつ

つーわけで、まだまだわたしもコミュニケーション能力はウブウブのビギナー(* ̄∇ ̄*)

ほんとはそれを伸ばして人とたのしく会話してみたかったし、自分の気持ちをためずに出してみたい思いがあったのに、そこをコンプレックスからむりやり押し隠そうとしたから、代わりに他の能力を伸ばして目をそらそうとして、むりくり走り続けてきたのですね。そしてそれはそれなりでまたよかったのです。こうしてブログに吐き出すなんてこともできるようになったしね(((* ̄∇ ̄*)))

でも、今日このことに気づけたから、またここから毎瞬毎瞬あたらしく始めていけばいい。身の回りのものすべてを刺激として、じぶんが少しずつアップデートされていくのを楽しめばいいのだ。そして時に苦しんでもいいのだ!

そう思ってそうわかったら、カウンセラーがわたしに「気持ちを適切に出す訓練をしてみませんか?」とすすめてきた理由も、それに対して「えー……すっごいだるい……そうできるようになりたいけど、腰が重いし、気が重いよぉぉ~~……」という気分に自分が陥った理由も、すべての謎が一気に解けたわ!!!

はじめからカンペキなんて目指すから苦しくなるし腰が重くなるんだ。なにもカウンセラーはわたしに、始めから高度な気持ちの出し方を求めたわけじゃないのだ。自分の楽しみのためにやってみないか?って薦めただけで。

わたしだって、たとえば生まれたばっかりの赤ちゃんに「ぼくリストのラ・カンパネラを今すぐ本人みたいに弾きたいでちゅ!!バブバブ」って言われたら「いいからとりあえず落ち着け。それはゆくゆく弾けるようになるから、その時のためにまずはでっかくなれ、焦らんでええから、焦るのはムリやから。そのめんこいお手手が裂けてまうがな」って言いますがな!!笑

正解なんて見つからなくてもイイ。苦味もあってイイ。今この時からでちっとも遅くない。まだまだ終わりじゃない。なんぼでも転げればいいのさぁ~~(* ̄∇ ̄*)

あとがき

さいきん寒さのあまりお布団引きこもり族を極めんとしていた日々でしたが、この気づきにより、なんか無性に外に出て人と話してみたい意欲が湧いてきました(* ̄∇ ̄*それでもやっぱりさみぃもんはさみぃけどな!)

コミュニケーション初心者で、ゆくゆくはちょっとずつでもうまくなりたいなぁと夢を抱いているみなさん。いっしょに亀の歩みで進もうねえ~~~。常に横には、同じく亀の歩みで這って進んでそしてときどきは休んで寝ているわたしがいます(* ̄∇ ̄*)

あー、今日はアタマが冴えててうれしい。こんな気づきも時たまフィッと降りてくるから、ひきこもりも楽しいものよ(* ̄∇ ̄*)

この記事の下書きは、眠りが途中で覚めた明け方の4時にしたのだけど、わたしはやっぱり明け方のその時間にふいになんか気持ちのひらめきが降りてきやすい、っぽい。今までも何度かいろいろとあった。もちろんそれ以外の時間になんか降りてくることもあるけどね。

ではまた((((* ̄∇ ̄*))))

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